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作成・橋本努

ルソー『エミール』岩波文庫[1762]

 

・「エミール」という架空の生徒(金持ちの孤児で、健康な子ども)が、生まれたときから一人前の人間になっていくまでの教育論。

 

第一編(上巻)

・【社会秩序と自然秩序】「社会秩序のもとでは、すべての地位ははっきりと決められ、人はみなその地位のために教育されなければならない。その地位にむくようにつくられた個人は、その地位を離れるともうなんの役にも立たない人間になる。教育はその人の運命が両親の地位と一致しているかぎりにおいてのみ有効なものとなる。」「自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。……私の生徒を、将来、軍人にしようと、僧侶にしようと、法律家にしようと、それはわたしにはどうでもいいことだ。両親の身分にふさわしいことをするまえに、人間として生活するように自然は命じている。生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。……わたしたちのなかで、人生のよいこと悪いことにもっともよく耐えられる者こそ、もっともよく教育された者だと私は考える。」(31-32)

・【活動重視の教育】「人は子どもの身をまもることばかり考えているが、それでは十分ではない。大人になったとき、自分の身を守ることを、運命の打撃に耐え、富も貧困も意に介せず、必要とあればアイスランドの氷の中でも、マルタ島のやけつく岩のうえでも生活することを学ばせなければならない。……死をふせぐことよりも、生きさせることが必要なのだ。生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。わたしたちの器官、感官、能力を、わたしたちに存在感をあたえる体のあらゆる部分をもちいることだ。もっとも長生きした人とは、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を体験した人だ。」(33)

・【子ども=教師論】「一般の意見に反して、子どもの教師は若くなければならない。……できれば教師自身が子どもであれば、生徒の友達になっていっしょに遊びながら信頼を得ることができれば、と思う。子どもと成熟した人間のあいだにはあまり共通なものがないし、そんなに年齢の差があっては十分に固い結びつきはけっしてできあがらない。」(50-51)

・【田舎教育の推奨】「都市は人類の堕落の淵だ。数世代ののちにはそこに住む種族は滅びさるか、頽廃する。それを新たによみがえらせる必要があるのだが、よみがえりをもたらすのはいつも田舎だ。だから、あなたがたの子どもを田舎へ送って、いわば自分で新しくよみがえらせるがいい。」(66)

・【自然の弟子】「教育は生命とともにはじまるのだから、生まれたとき、子どもはすでに弟子なのだ。教師の弟子ではない。自然の弟子だ。教師はただ、自然という主席の先生のもとで研究し、この先生の仕事がじゃまされないようにするだけだ。」(69)

・【習慣になじませない】「食事と睡眠の時間をあまり正確にきめておくと、一定の時間のうちにそれが必要になる。やがては欲求がもはや必要から生じないで、習慣から生じることになる。というより、自然の欲求のほかに習慣による欲求が生じてくる。そんなことにならないようにしなければならない。/子どもにつけさせてもいいただ一つの習慣は、どんな習慣にもなじまないということだ。」(72)

・【全能と強さの美徳】「悪はすべて弱さから生まれる。子どもが悪くなるのは、その子が弱いからにほかならない。強くすれば善良になる。なんでもできる者はけっして悪いことをしない。全能の神のあらゆる属性のなかで、善なるものであるということは、それなしには神というものをとうてい考えることのできない属性である。」(81)「あらゆる官能の情欲は弱い肉体のなかに宿る。弱い肉体ほど情欲を十分に満足させることができないのでますますいらだってくる。/虚弱な肉体は魂を弱める。」(56)

・【語彙を少なくする】「子どもの語彙はできるだけ少なくするがいい。観念よりも多くの言葉を知っているというのは、考えられることよりも多くのことがしゃべれるというのは、ひじょうに大きな不都合である。都会の人に比べて一般に農民がいっそう正しい精神の持ち主である理由の一つは、かれらの語彙がかぎられていることにあると思う。」(95)

 

 

第二編 子ども時代(〜12,13歳)

・【けがを配慮しない】「子どもがころんだり、頭にこぶしをこしらえたり、鼻血をだしたり、指を切ったりしても、わたしはあわてて子どものそばにかけよるようなことはいない。」「わたしはエミールがけがをしないように注意することはしまい。かえってかれが一度もけがをせず、苦痛というものを知らずに成長するとしたら、これはたいへん困ったことだと思うだろう。苦しむこと、それはかれがなによりもまず学ばなければならないことであり、それを知ることこそ将来もっとも必要になることなのだ。」(98-99)

・【将来に備える教育について】「不確実な未来のために現在を犠牲にする残酷な教育をどう考えたらいいのか。子どもにあらゆる束縛をくわえ、遠い将来におそらくは子どもが楽しむこともできない、わけのわからない幸福というものを準備するために、まず子どもをみじめな者にする、そういう教育をどう考えたらいいのか。」→「人間よ、人間的であれ。そけがあなたがたの第一の義務だ。あらゆる階級の人々に対して、あらゆる年齢の人々に対して、人間に無縁でないものに対して、人間的であれ。人間愛のないところにあなたがたにとってどんな知恵があるのか。子どもを愛するがいい。子どもの遊びを、楽しみを、その好ましい本能を、好意をもって見守るのだ。……子どもが生きる喜びを感じることができるようになったら、できるだけ人生を楽しませるがいい。いつ神に呼ばれても、人生を味わうことなく死んでいくことにならないようにするがいい。」(101-102)

・【能力と欲望】「わたしたちの欲望と能力のあいだの不均衡のうちにこそ、わたしたちの不幸がある。その能力が欲望とひとしい状態にある者は完全に幸福といえるだろう。/そこで、人間の知恵、つまり、ほんとうの幸福への道はどこにあるのか。それはわたしたちの欲望を減らすことにあるとはいえない。……それはただ、能力をこえた余分の欲望をなくし、力と意志とを完全にひとしい状態におくことにある。そうすることによってはじめて、いっさいの力は活動状態にあり、しかも心は平静にたもたれ、人は調和のとれた状態に自分を見出すことができる。」(104)

・「先のことはなにも考えない無知な人間はほとんど人生の価値を知らず、人生を捨てることをそれほど恐れない。聡明な人間はもっと大きな価値のあるものにたいして目を開き、この世のものをすててそれを手に入れようとする。」(107)「人間がつくりあげるものはすべて愚劣と矛盾だらけだ。わたしたちは生命がその価値を失ってくるにつれて、よけいそれに気を使うようになる。」(108)

・【自由な人間】「自分の意志どおりにことを行なうことができるのは、なにかするのに自分の手に他人の手をつぎたす必要のない人だけだ。そこで、あらゆるよいもののなかで、いちばんよいものは権力ではなく、自由であるということになる。ほんとうに自由な人間は自分ができることだけを欲し、自分の気に入ったことをする。これがわたしの根本的な格率だ。ただこれを子どもに適用することが問題なのであって、教育の規則はすべてそこから導かれてくる。/社会は人間をいっそう無力なものにした。社会は自分の力に対する人間の権利を奪い去るばかりでなく、なによりも、人間にとってその力を不十分なものにするからだ。だからこそ、人間の欲望は、その弱さとともに増大する……。」(112)

・【遅く発達する理性の完成へ】「子どもと議論すること、これは[ジョン・]ロックの重要な格率だった。……わたしには、人といろいろ議論してきた子どもくらい愚かしい者はないようにみえる。人間のあらゆる能力のなかで、いわばほかのあらゆる能力を複合したものにほかならない理性は、もっとも困難な道を通って、そしてもっとも遅く発達するものだ。しかも人は、それをもちいてほかの能力を発達させようとしている。すぐれた教育の傑作は理性的な人間を作り上げることだ。」(123-124)

・【経験重視】「ことばによってどんな種類の教訓も生徒に与えてはならない。生徒は経験だけから教訓を受け取るべきだ。」(129)

・【他人と比較しない自尊心の確立】「人間にとって自然な唯一の情念は自分に対する愛、つまり、ひろい意味における自尊心だ。……それ[自尊心]を適用するとき、そして、なにものかと関係が生じるときにはじめて、それはよいものともなり、悪いものともなる。自尊心を導くもの、つまり理性が発達するまでは、子どもは、だから、人に見られているからといって、聞かれているからといって、一言でいえば、他人との関係を考えてなにかしないようにすることが大切だ。ただ自然がかれにもとめることをしなければならない。そうすればかれのすることはすべてよいことになる。」(130-131)

・【消極的な教育】「魂がその全能力を獲得するにいたるまでは、子どもはその魂によってなにかしないようにすることが必要なのだろう子どもの魂があなたのさしだす光をみとめることは不可能なのだ。……/初期の教育はだから純粋に消極的でなければならない。それは美徳や真理を教えることではなく、心を不徳から、精神を誤謬からまもってやることにある。」(132)「子どもの状態を尊重するがいい。そして、よいことであれ、悪いことであれ、早急に判断を下してはならない。……長いあいだ自然のなすがままにしておくがいい。はやくから自然に代わって何かしようなどと考えてはならない。そんなことをすれば自然の仕事をじゃますることになる。」(161-162)

・【書物の破棄】「わたくしは子どもに最大の不幸をもたらす道具、つまり書物をとりあげてしまう。読書は子ども時代にとっての災厄(さいやく)だが、しかも人が子どもに与えることができるほとんど唯一の仕事になっている。一二歳のエミールは、書物がどういうものかほとんど知らないだろう。しかし、少なくともかれは文字が読めなければなるまい、と人は言うかもしれない。それは同感だ。読むことが役立つようになったら、かれは読むことができなければならない。しかしそれまでは、読むことは彼を退屈させるだけだ。」(183)

・【自分で実行する】「たえずなにか教えようとする権威に全面的にしたがっているあなたの生徒は、なにかいわれなければなにもしない。」(188)「わたしの生徒、というより自然の生徒はどうかといえば、できるだけ自分の用は自分で足すようにはやくから訓練されているから、たえず他人に助けをもとめるな習慣はもたないし、他人に自分の博学ぶりをひけらかすような習慣はなおさらもたない。そんなことはしないが、直接自分に関係のあるあらゆることにおいて、かれは判断し、予見し、推論する。おしゃべりはしないで、行動する。世間で行われていることについては一言も知らないが、自分にふさわしいことをすることは十分に心得ている。たえず動きまわっているから、かならず多くのことを観察し、多くの結果を知ることになる。はやくから豊かな経験を獲得する。人間からではなく、自然から教訓を学びとる。教えてやろうなどという者はどこにもみあたらないので、ますますよく自分で学ぶことになる。こうして肉体と精神が同時に鍛えられる。」(189-190)

・【実践知】「一八歳になって人は哲学[自然学]で梃(てこ)とはどういうものかを学ぶが、一二歳の農村の子で、アカデミーのいちばんすぐれた機械学者よりもよく梃を用いることができないような者はいない。生徒が学校の庭でたがいに学びあうことは、教室で教えられるあらゆることにくらべて百倍もかれらの役に立つ。」(202)「肉体のすぐれた構造こそ、精神の働きを容易に、そして確実にするのだ。」(204)

・「夜の遊びごとをたくさんやらせる」:感覚を鋭敏にさせ、闇を恐れる本能をなくすため。(221)

・【デッサンを学ばせる】「空間と物体の大きさを正しく判断することを学ぶには、どうしても物体の形を知り、さらにそれらを模写することを学ばなければならない。結局のところ、この模写は完全に遠近法によるものにほかならない。そして遠近法をいくらかでも知っていなければ、空間をその見かけによって推定することはできない。子どもというものは偉大な模倣者で、あらゆるもののデッサンをとろうとする。わたしはわたしの生徒にこの技術を修めさせたいと思っているが、それは技術そのもののためにではなく、目を正確にし、手をしなやかにするためだ。そして、一般的にいえば、かれがあれこれのことに上達するのは対して重要なことではない。ただ、その練習のおかげで明敏な感官と体のよい習慣が獲得されればいい。」(241)

・【作曲する】「音楽をよく知るにはそれを表現するだけではたりない。つくらなければならない。そして表現することはつくることと一緒に学ばなければならない。そうしなければけっして十分に音楽を知ることはできない。」(254)

 

 

第三編 青年期の直前(12,13歳〜15歳)

・【力の発達】「青年期に達するまでの人生の期間ぜんたいは無力だが、この最初の時期のあいだに、力の発達が欲望の発達を追い越して、まだ完全に無力ではあるが、成長しつつある生物が相対的に強くなる時期がある。かれの欲望はまだすべてが発達していないので、現実の力は彼が感じる欲望をみたしてなおあまりあるものとなる。人間としてはかれはきわめて弱い存在だが、子どもとしてはきわめて強い存在である。」(283)「自分のことは自分でできるばかりでなく、かれは自分に必要な力よりももっと多くの力をもつ。この時期はかれがそういう状態におかれる人生の唯一の時期だ。」(284)

→仕事・勉強・研究の時期:自然現象に関する好奇心を伸ばす。美しい光景に感動すること。

・【教えすぎない】「……かれは、まだ知らないことにであったときはいつも、なんにも言わずに長いことかかってそれをしらべている。かれは考え深く、やたらに人に質問するようなことはしない。だから、適当なときにものをかれに見せるだけにしておくがいい。そして、彼の好奇心が十分それに捉えられていることが分かったとき、なにか簡単な質問をして、それによって問題を解決する道を示してやるようにするがいい。」(292)「たしかに、すこしはかれを指導してやる必要があるだろう。しかし、ごくすこし、それと分からない程度にだ。かれがまちがったことをしても、そのままにしておき、誤りを訂正してやるようなことはせず、なんにも言わずに、自分で誤りがわかり、それを自分で訂正するまで待っていることだ。」「わたしの教育の精神は子どもにたくさんのことを教えることではなく、正確で明瞭な観念のほかにはなに一つかれの頭脳にはいりこませないことにある」(296)。「理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる。そういう偏見からかれをまもってやる必要があるのだ。……知識への愛にとらえられ、その魅力に心をさそわれて、あれもこれもと追っかけまわしてとどまることを知らない人を見るとき、わたしは、海辺で貝殻を拾い集め、まずそれでポケットをいっぱいにし、ついで、また見つけた貝殻に気持ちをそそられ、投げ捨ててはまた拾い、しまいには、あまりたくさんあるのでやりきれなくなり、どれをとっておいたらいいか分からなくなって、とうとうみんな捨てて、手ぶらで家へ帰って行く、そんな子どもを見ているような気がする。」(297)

・【学問を愛するための趣味】「……子どもを物知りにすることができれば十分と考えるのは愚かなことだ。子どもに学問を教えることが問題なのではなく、学問を愛する趣味を与え、この趣味がもっと発達したときに学問をまなぶための方法を教えることが問題なのだ。これこそたしかに、あらゆるよい教育の根本原則だ。」(297-298)「かれのほうから質問してきたら、好奇心を十分にみたしてやるのではなく、それを育むのに必要な程度の返事をしたらいい。」(298)

・【労働者=哲学者の理想】「学問の研究を簡略にするすばらしい方法はいろいろとあるようだが、努力してまなぶ方法をだれか教えてくれることがわたしたちには多いに必要なのではあるまいか。/時間がかかって骨の折れるそうした研究法のなによりもいちじるしい長所は、理論的な研究をしているあいだにも、いつも体を活動状態におき、手足をしなやかにし、たえず手を労働と人間にとって有益な用い方に向くようにつくりあげていくことだ。」(308)「子どもをたえず書物のうえにかがみこませておくようなことはしないで、工作場で勉強させることにすれば、子どもの手は精神のためになるようにはたらく。子供は哲学者になりながら、自分は労働者にすぎないと思っている。」(309)「かれは農夫のように働き、哲学者のように考えなければならない。そして未開人のようなのらくら者になってはいけない。教育の大きな秘訣は体の訓練と精神の訓練とがいつもたがいに疲れをいやすものとなるようにすることだ。」(364)

・【道徳や社会的効用を教えない】「道徳秩序に属すること、社会的な効用に属することはすべて、そんなにはやくから子供に示すべきではない。子供にはそういうことは理解できないからだ。……子どもは、そう言われたからといってなにかをするようではいけない。子どもにとっては、自分でよいと思っていることのほかによいことはない。いつも子どもの知識より先走ったことをさせようとするあなたがたは、先見の明をもちいていると思っているが、あなたがたにはそれが欠けているのだ。」(311)

・【自発的な探求への導き】「生徒が学ぶべきことをあなたがたが指示してやる必要はめったにない……。生徒のほうで、それを要求し、探求し、発見しなければならないのだ。あなたがたはそれをかれの手の届くところにおき、巧みにその要求を生じさせ、それをみたす手段を提供すればいいのだ。……/さらに、かれがあれこれと学ぶことはそれほど大切なことではなく、学んでいること、そして学んでいることの効用を十分に理解すればいいのだから、あなたがたが言っていることについて、かれに有益な説明を与えることができなくなったら、ぜんぜん説明を与えないことだ。」(315)

・【競争させない】「けっしてほかの子どもとくらべないこと、すこしでも論理的にものごとを考えるようになったら、かけくらべをするときでも、競争相手のことをかんがえさせないこと。嫉妬心や虚栄心によってしか学べないことは学ばないほうがよっぽどましだと思う。」(324)

・【道徳よりも技術、農業】「しかし、知識のつながりによって、人間相互の依存状態を示さないわけにはいかなくなったときには、道徳的な面からそれを示すようなことはしないで、まず、人間をたがいに必要なものにしている工業と機械的な技術にあらゆる注意を集中させるがいい。」(328)「若者を分別ある人間にするには、わたしたちの判断を押しつけるようなことはしないで、かれの判断力を十分に鍛えなければならない。」(331)「自分の利益、安全、維持、快適な生活、そういうものとのはっきりした関連によってこそ、かれは自然のあらゆる物体と人間のあらゆる労働を評価しなければならない。そこで、かれの目には鉄は金よりも、ガラスはダイヤモンドよりもはるかに高価なものと見えなければならない。」(331-332)「そして、ほかの技術をそれほど必要としない技術はいっそう自由で、独立状態にいっそう近いものだから、もっとも従属的なものにくらべていっそう尊敬されてしかるべきだ、と言っておく。これが技術と産業を評価するほんとうの基準だ。……/あらゆる技術のなかで第一位におかれるもの、もっとも尊敬されるべきものは、農業だ。わたしは鍛冶屋を第二位に、大工を第三位に、といったふうにしたい。」(332-333)→「エミールにはなにか職業を学ばせることにしたい。」(353)「わたしがいちばん好ましく思う職業で、わたしの生徒の好みに合っていると思われるのは、指物師[家具職人]の職業だ。」(360)「わたしたちの野心は、指物を学ぶことよりも、指物師の身分にわたしたちを高めることなのだ。そこでわたしの考えでは、わたしたちは毎週少なくとも一回か二回、親方のところへいってまる一日をすごし、親方と同じ時刻に起き、かれよりもはやく仕事にとりかかり、かれと同じ食卓で食べ、かれに言いつけられて仕事をし、そして、かれの家族とともに夕食をする光栄に浴したあとで、もしそうしたければ、家に帰ってわたしたちのごつごつした寝床でねる、ということにしたい。こんなふうにすれば、同時にいくつかの職業を学ぶことができるし、また、手仕事の訓練をうけながら、別の修業もなおざりにしないですむ。」(361)

・【田舎から都会へ:理性の自律】「人間は知れば知るほど誤りを犯すことになるのであるから、誤りをさけるただ一つの方法はなにも知らないでいることだ。判断を下さなければ、あなたがたは決して誤ることはないだろう。それが自然の教えることであり、理性の教えることでもある。」(368-369)[しかし]エミールは人の住まないところに追いやられる未開人ではなく、都市に住むようにつくられた未開人だ。かれはそこで必要なものをみつけ、都市の住人たちから利益をひきだし、かれらと同じようにではないにしても、かれらとともに暮らさなければならない。/かれが依存することになる多くの新しい連関のなかで、どうしてもかれは判断しなければならなくなるだろうから、とにかく十分に判断することを彼に教えることにしよう。」(369-370)「いつも真実をみいだすにはどうしなければならないかを教えることが問題だ。」(370)

→「自分で学ばなければならないかれは、他人の理性ではなく、自分の理性をもちいることになる。意見にたよらないようにするには、権威にたよってはならないのだ。そしてわたしたちの誤りの大部分は、わたしたちから生じるよりも他人から生じることが多いのだ。そういうたえまない訓練からは、労働と疲労によって体にあたえられるたくましさと同じような強い精神力が生まれてくる。」「エミールはわずかな知識しかもたない。しかし、かれがもっている知識はほんとうにかれのものに。なっている彼はなにごとも生半可に知っているということはない。」(374)「わたしの目的はかれに学問をあたえることではなく、必要に応じてそれを獲得することを教え、学問の価値を正確に評価させ、そしてなによりも真実を愛させることにある。こういう方法をとれば、人はあまり進歩しないが、一歩でもむだに足を踏みだすことはないし、あと戻りしなければならなくなることもない。」(375)

・【自律の美徳】「一言でいえば、エミールはかれ自身に関係のある徳はすべてもっている。……/かれは他人のことは考えないで自分のことを考える。そして他人が自分のことを考えてくれなくてもいいと思っている。かれはだれにもなにももとめないし、だれにもなに一つ借りてはいないと信じている。かれは人間の社会において孤独であり、自分ひとりだけをあてにしている。」(376)

 

 

第四編 第二の誕生(中巻)

・【人間の弱さから生まれる社会】「人間を社会的にするのはかれの弱さだ。わたしたちの心に人間愛を感じさせるのはわたしたちに共通のみじめさなのだ。人間でなかったらわたしたちは人間愛など感じる必要はまったくないのだ。愛着はすべて足りないものがある証拠だ。わたしたちのひとりひとりがほかの人間をぜんぜん必要としないなら、ほかの人間といっしょになろうなどとはだれも考えはしまい。こうしてわたしたちの弱さそのものからわたしたちのはかない幸福が生まれてくる。ほんとうに幸福な存在は孤独な存在だ。神だけが絶対的な幸福を楽しんでいる。」(26)

・【人間を哀れむ】「人間を描いてみせるなら、あるがままの人間を描いてみせるがいい。それは、青年を人間嫌いにさせるためではなく、人々を哀れみ、かれらと同じような者になりたくないと考えさせるためだ。これは、わたしの考えでは、人間が人類にたいしてもつことのできるいちばん筋の通った考えかただ。」(59)

・【仮面の背後の美しい顔】「青年がいっしょに暮らしている者にたいして好感をもつことができるようにその仲間を選んでやることをわたしは望みたい。また、世の中というものを十分によく知ることを学ばせ、そこで行なわれているあらゆることに嫌悪を感じさせたい。人間は生まれつき善良であることを知らせ、それを感じさせ、自分自身によって隣人を判断させたい。けれども、どんなふうに社会が人間を堕落させ、悪くするかを見させ、人々の偏見のうちにかれらのあらゆる不徳の源をみいださせ、個人の一人一人には尊敬をはらわせるが、群集を軽蔑させ、人間はみんなほぼ同じような仮面をつけていること、しかしまた、なかには顔を覆っている仮面よりもずっと美しい顔があることを知らせたい。」(60)

・【自分自身に満足することの幸福】「神は、人間が自分で選択して、悪いことではなくよいことをするように、人間を自由な者にしたのだ。神は人間にいろいろな能力をあたえ、それを正しくもちいることによってその選択ができるような状態に人間をおいている。……最高の楽しみは自分自身に満足することにある。わたしたちが地上におかれて自由を与えられているのは、情念に誘惑されながらも良心にひきとめられうるのは、そういう満足感を楽しむことができる者になるためなのだ。」(152)

・【孤立の害】「……ひたすら自分のなかにちぢこまっているうちに、自分以外のものには愛を感じなくなってしまう者は、もう感激をおぼえることもなく、凍りついた彼の心は歓びにふるえることもない。快い感動に目をうるませることもない。かれはもうなにも楽しむことができない。こういうみじめな人間は、もうなにも感ぜず、生きているともいえない。」(166)

・【官能を抑える】「読書、孤独、暇、じっとしている柔弱な生活、女性や若い人との交際。こういう道を踏み分けていくのは、かれの年齢にとっては危険なことで、それはたえずかれをあぶないところにおくことになる。わたしは、そういうこととは別の感覚的なことによって、かれの官能をだましてやるのだ。精気に別の流れを示してやることによって、それが取ろうとしてきた流れからそれをさせるのだ。骨の折れる仕事でかれの体を鍛錬させることによって、かれをひきずっていく想像力の活動を押さえるのだ。腕がさかんに働いていれば、想像力は休んでいる。」(232-233)

・【世間のしきたりを学ぶ時期】「学問の研究にふさわしい時期があるのと同様に、世間のしきたりを十分によく理解するのに適当な時期がある。あまりに若い時にそういうしきたりを学ぶ者は、一生のあいだそれにしたがっていても、選択することもなく、反省することもなく、自信はもっていても、自分がしていることを十分に知ることもない。しかし、それを学び、さらにその理由を知る者は、もっと豊かな見識をもって、それゆえにまた、もっと適切な、優美なやり方でそれに従うことになる。」(249)

・【人々を高く評価しないが軽蔑しない】「一般的にいって、エミールは人々を高く評価しないが、かれらに対して軽蔑の念を示すようなことはしないだろう。彼等を気のどくに思い、同情を感じているからだ。じっさいによいことにたいする好みをかれらに与えることのできないかれは、かれらがそれで満足している臆見にもとづくよいことをそのままにしておく。……かれは、人と論争したり、人に逆らったりしない。相手の気に入りそうなことを言ったり、おせじをいったりすることもしない。かれは、だれの考えにも反対しないで、自分の考えを述べる。かれはなによりも自由を愛好しているし、率直に語ることは、自由の最も美しい権利の一つなのだから。」(269)